陽が照らす時間が日々着実に短くなり、私は気が付けば空を見上げている。真っ赤な太陽が静かに沈んでいるところだった。スカートを揺らす風は冷たく、来週になったらコートを引っ張り出さないと耐えられないかもしれない。舗装された道路をローファーで軽く叩くようにして歩く。コツコツ、誰もいない空間に音が広がる。ときおり、落ち葉を踏む。サクリ。他のみんなよりも先に落ちてしまった葉っぱたちは、まだ完全には色づいておらず、心なしか寂しそうに見えた。踏んでしまって申し訳ないことをした、とおもう。

落ち葉を踏むのが好きだった。小さいときは友達と一緒に公園へ出かけては、落ち葉を片っ端から踏んで遊んだ。たくさんあつめてその中にもぐったりもした。落ち葉はあんなに乾いてひらひらとしているのに、中に入ると暖かかった。土のにおいも安心した。不二先輩もそういうことをしたことがあるだろうか。聞けたらいいのに。
聞けたらいいのにと思うのに、私はやっぱり、一歩先にすすむ勇気を持てていない。自分でも驚くくらい突然張り切った行動をとるのに、結局大元の中身は、自信のない小心者のままで。落ち葉を踏むことは得意なくせに、一歩踏み出す勇気がないだなんて。



ふと思いたって公園に足を進める。公園のことを考えたら行きたくなったのか、不二先輩のことを考えたら行きたくなったのかは分からない。近くにテニスコートがあるこの公園は、私のお気に入りだった。秋のはじまりには金木犀がかおり、そうして秋の終わりには落ち葉でいっぱいになる。ちょうど中間にあたる今は、ほんの少しの落ち葉たちと、それから眠っている金木犀がひっそりと佇んでいた。

お気に入りの公園、不二先輩と初めて出会った公園。

たしかこのあたりだったはず、と、記憶の中の不二先輩が立っていた場所を探す。先輩はここから金木犀を見上げていた。先輩はあの小さな存在を見つめながら何を考えていたのだろう。知りたいのに知ることはできなくて、それでもやっぱり知りたいと思う。
あの誰にでも分け隔てなく優しい先輩は、普段何を考えているのだろう。私のような気持ちに、なったことはあるのだろうか。


サクリ、落ち葉を踏む音がきこえ、そちらに顔を向ける。私が見たことに気が付いたその人は、ちょっと驚いたように口角をあげると、そのまま穏やかに微笑んでくれた。
・・・夢、だろうか?不二先輩がいる。

「こんにちは」

彼はにっこりしたままそう言い、軽く小首を傾げる。冷たい風がふいて、彼の前髪を揺らす。

挨拶には慣れたはずだった。何度も何度も練習を繰り返して結果失敗も繰り返して、そうして交わせるようになった「こんにちは」だ。けれど、普段はすれ違うときに言うだけで、こうやって面と向かって挨拶をしたことは無かった。こんにちはのあとに何を続ければいいのか、それを考えるだけで、こんにちはすら言えなくなってしまう。

先輩の靴を見たりもう咲いていない金木犀を見たりしてから、「こんにちは・・・」と、ようやく喉に張り付いた声を出した。不二先輩はそんな様子を見ても優しくて、口元に指先をやって、小さく笑った。「うん、こんにちは」先ほどよりもゆっくりとしたテンポで繰り返してくれる。嬉しいのと恥ずかしいのとで、自分の顔がどんどん熱くなっていくのを感じる。穴があったら今すぐに入りたい。

先輩に聞きたいことがたくさんある。知りたいことがたくさんあるのだ。けれど、こうやって先輩を前にすると、言葉が何も出てこない。ただただ先輩を見つめて、本物の先輩の格好よさに、何も考えられなくなってしまう。オレンジ色に照らされた不二先輩は、あのときのオレンジみたいに柔らかい色をしていて、そうしてその柔らかい不二先輩は、見間違いや勘違いや夢でなければ、にっこりしながら私を見下ろしている。

何も言えない私に気をつかってくれたのか、「すぐそこにテニスコートがあるんだ。越前と桃城がそこで試合をしてるって言うから、見に来た」やっぱり最初に比べてゆっくりとしたテンポで、読み聞かせをするように教えてくれた。
おはようございますこんにちはお疲れさまですさようなら以外を先輩と交わすのは初めてで、私は慌てて頭を使ったけれど、結局「そうなんですね」としか言えなかった。つまらない女だと思われたくはないのに、理想ばかりたかくて、実際の私はこんなもので。

「そうしたら君をみかけたから。寄り道?」
「あ・・・はい。公園に行きたいなって思ったんです」
「そうなんだ」

私の「そうなんですね」と違い不二先輩の「そうなんだ」はそれ以外考えられない相槌のようにするりと会話に溶け込む。どうしてだろう。彼は緊張していないからかもしれない。
とたん、コートのある方角からわっと歓声があがる。思わずそちらを見てからちらと先輩を伺えば、同じようにコートの方を見ていた。

「よかったら、君も観ない?プレイの参考になると思うよ」
「みたいです!」
「ふふ、よかった」

先輩はまた柔らかく笑って、それじゃあ行こうか、と先を歩く。サクリ、ときおり落ち葉を踏む。

自分が女子テニス部であることを、覚えてくれていた。今までの下心の入った努力が報われた気がして、鞄を持つ手に力が入った。にっこり微笑んでもらえたことも挨拶してもらえたこともあったけれど、それとはまたちがった、直接的なよろこびだった。

華奢だけれど意外にたくましい背中をジッと見つめながら着いていくと、不意にその背中がとまって、思わずぶつかりそうになる。なんとか踏みとどまっていると、振り返った先輩にその様子を見られてしまい、彼は少しだけ声に出して、おかしそうに笑った。やっぱり恥ずかしい。

「ひとつ質問してもいいかな?」
「はい!なんですか?」
「君はいつも僕の名前を呼んでくれるけど、そういえば僕は君の名前を聞いたことがなかったから」

きみの名前を教えてほしいんだ。
不二先輩の魔法のような声でそう言われ、私はおもわず一歩、先輩に近づいた。少しずつ少しずつ距離を縮めていた不二先輩が、今はどうしてか、先輩の気まぐれでこんな近くにいる。

明日になったらまた離れているかもしれない。分け隔てない不二先輩に、それでも不二先輩はそういう素敵な人だからとなかば諦めかけるかもしれない。それでも今は、橙に染まるこの時間だけは、確実に彼と私だけの時間なんだ。

息を吸う。あるはずもない金木犀が、胸いっぱいに広がる。不二先輩は笑う。

さん。知れてよかった」

結局のところ私ばかりが落ちていても、落とし穴の淵に立ってこちらを見下ろしてくれる不二先輩が、どうかこちら側へ来てくれますようにと、いつの間にか欲深い私は、その先その先を望んでしまう。
先輩が自然な様子で私の右手を取り、私は準備していた「こうしよう」「ああしよう」をすべて地面に置いて、落陽の中彼の隣を歩いた。

たぶん、落ちるなら、今だ。



(落ちる穴はどこです / 不二周助)



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