探したって見つからないし、知っていたって結局のところ落ちるのだ。















金木犀の香りに満たされた公園が、不二先輩との思い出の場所だった。
だからあの甘い香りが鼻を掠めると、そのときのことを思い出してしまう。オレンジ色の小さい花を見上げるその横顔があまりにもきれいだったから、止まっていた時間が再び動き出すのにずいぶんとかかったような気がした。
同じ学校の先輩だと知ったのはそれから何ヶ月か経った後だった。入学して間もなく、その名前を知ることになる。有名なひとだった。その後すぐ、女子テニス部に入部届を出した自分は意外と積極的だったんだなとそのとき初めて思い知ったのも今では笑い話だ。テニスどころか体育の授業すら標準以下なのに。

何かきっかけが欲しかった、というのが正直なところだった。だって、そうでもしなければ先輩に近づけるだなんてちっとも思えなかったから。恋人になりたいだなんてことをはっきりと思ったことはたぶんなかったはずだけど、「自分のことを知ってほしかっただけ」なんて純粋なものじゃきっとない。自分のことを知ってもらって、興味を持ってもらって、そして、少しずつでも好きになってもらえたら、なんて、入部届の裏にはそんな気持ちがたくさん隠れていたに違いない。





思い切って同じ部活に入部した割には、おはようございます、とか、お疲れさまです、とか、さようなら、とか。そういった挨拶から始めるあたりは堅実であり、現実的だった。同じ部活といっても男子と女子ではコートも違うし練習メニューだって全然違う。嬉しいのはテニスをプレイしている先輩をチラチラと覗き見できることと、一応は同じ部活であるのを良いことにちゃっかり話しかけたりかけられたりできる希望がなきにしもあらず、なことくらいで。顔見知りじゃない後輩だってスコートを履いていればテニス部なんだとわかってもらえるのはありがたかった。そうでもなければ、自分のことを知らない先輩に挨拶をするのは少し憚られてしまうから。


「おはようございます、不二先輩」と、初めて挨拶をしたときにはひどく緊張した。何度も何度もイメージトレーニングをして、すれ違うたびに次こそは、次こそは、と見送ったのが何十回とあった後だった。にも関わらず、目を合わせられなかった上に蚊の鳴くような声になってしまって、これでは何のために挨拶をしたのだかわからない。あまりにはずかしくて隠れる穴を探してみたけれど見つからなかった。当然だ。
一瞬だけきょとんとした後、何かを察してくれたのか「おはよう」と優しく返してくれたあの柔らかい人魚の歌声みたいな不二先輩の挨拶は一生忘れられない気がする。


それからだんだんと挨拶をするのにも慣れてきて、そうなってくると今度はそろそろ制服姿で、例えば教室移動のときに声をかけてみようと思うようになった。「知らない子」と思われるのが哀しくてそれまでは朝練の前とか、部活の片付けの後だとか、スコート姿だったりラケットを持っていたり、テニス部の後輩であることが一目でわかる格好でしか声をかけることができなかったから。
声を掛けることはできなくても、会釈をしたら「あ、テニス部の」くらいは思ってくれないかな、思ってくれたらいいな、なんて淡い期待を胸いっぱいに抱いて。


けれどそんな期待は、案外あっさりと叶えられてしまった。というよりもむしろ、先を越されてしまったのだ。
美術室から自分の教室に戻るときのこと。次に美術室を使うのは不二先輩のクラスだということを知っていたので、それまでもすれ違うことは何度もあったし、その日ももしかしたらすれ違うかも、なんて思っていたからよく覚えている。
いつもは緊張するのと、恥ずかしいのと、気づいてもらえなかったらなんとなくさびしいのとで気づかないふりをしていて、やっぱりここでも私はまた来週こそは、来週こそはと暗示ように唱えていたけれど、ようやく訪れた「来週」、目が合った瞬間不二先輩がにっこりと笑いかけてくれたのだ。こんなにびっくりさせられたことはなかった。


そうなると次は名前だ。自分の名前を知ってほしかった。「あ、テニス部の」ではなく「あ、さん」。望みは尽きないものだ。「それだけ」でじゅうぶん嬉しかったことが、いつの日か「それだけ」では足りなくなってしまう。際限がなくなってしまうのが怖かった。けれど望みはまだ「名前を覚えてもらうこと」であり、そしてこの頃の私は、結局のところ自分はちっとも積極的ではないことを自覚したところであり、不二先輩は誰に対してでも分け隔てなくにこにこと笑って接するひとだということを思い知った頃だった。


知らないふりをしたって、聞くまいと耳をふさいだって、事実は何も変わらないのだ。
不二先輩みたいな、あんなにきれいでかっこよくってやさしくてテニス部できらきら輝いててその上よく知らない後輩の女子にももれなく挨拶を返してくれる素敵なひとなのだ、好きにならない方がどうかしている。少なくとも私はそう思う。先輩に惹かれるのは、先輩にあこがれるのは、先輩のことを好きになるのは、当たり前のことだとわかっているのに、いざそれを目の当たりにしてしまうと辛いものがあり、哀しいものがあり、それでも、なぜか嬉しく思う。


私はおかしいのかもしれない。悔しいとか、ずるいとか、羨ましいとか、そんな気持ちは不二先輩の笑顔を思い浮かべるだけで生まれたそばから泡のように消えていく。
でもたぶん違うのだ、私がおかしいのではなく不二先輩がすごいだけ。魔法使いみたいな。目を閉じて、1・2・3で目を開けて、きらりと流れる流れ星をプレゼントしてくれるような。







後ろ姿を見かければ、その後ろをついて歩きたくなる。ふと視線がぶつかれば、このまま時間が止まればいいと祈る。挨拶をするたびに心臓の音はどんどん大きくなっていくし、挨拶を返して貰うたびに少しずつ緊張が解けていく。例えば名前を呼んでもらえたのなら、きっとこの名前がもっと好きになるだろうし、万が一あの手に触れられたなら、握って一生離さないかもしれない。それは困る。だって、テニスをしている不二先輩は世界でいちばんかっこいい。

自分だけのものにできるだなんて思うほど自意識過剰でもないし自信もない。勝算も。見つめていることだけが精一杯で、見つめていられるだけで幸せだ。何度でも好きになる。好きになるたびに気持ちは重くなっていく。あまりにも重いから、先輩に渡すのもいつからか諦めかけてしまった。
次は、その次は、そのまた次は、を無自覚に望む自分は、やっぱりいるのだ。そんな自分は、星屑になってどこかへ消えてしまえばいいのに。


だけどもし、ぜいたくを一つだけ言わせてもらえるのなら私はきっとこう言うだろう。
一度でいいから落ちてみたい。私一人ではなく、不二先輩と、一緒に。
先輩は笑ってくれるだろうか。



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