部活も委員会もやっていない私は、家の中で暇そうにしているとすぐ店に駆り出される。父が営む定食屋は立地のせいか、客の数はいつもまばらだ。常に一組はいるけれど、決して五組以上にはならない。そういう店だった。それなので、暇な店内でテーブルを拭いたり料理を手伝ったり、時にはレジ前で漫画を読みながら店番をするだけでお小遣いがもらえるこの時間は、それほど嫌いではない。

唯一困った点があるとすれば、見知った顔が常連客だ、ということだろうか。




「お!なんや、今日も閑古鳥が鳴きっぱなしやな!」
「オサムちゃんがうるさいからお客さん逃げちゃうんだよ。うちは落ち着いた雰囲気のある店を目指してるの」
「定食屋がぬかせ」
「うるさいなあ!」

声の大きい常連客兼口うるさい担任の渡邊オサム先生は、大体この時間に訪れ、カウンター席に座り、ぶちぶちと学校の文句を私に零してからお気に入りの天津飯をかっ込んで帰る。うちには天津飯なんてメニューはないのに、彼だけのために材料を用意しておく必要があり、私はほとほとあきれ返っていた。両親が大変気に入っているのが余計におもしろくない。


そんなやかましいオサムちゃんとの言い合いもいつものことなので顔も見ずにひと喧嘩してから振り返ると、珍しくお一人様来店ではなかった。趣味の悪いチューリップハットの後ろにはこれまた見覚えのある顔だ。話したことは無いけれど、うちの学校で誰よりも背が高い転校生だ。嫌でも視界に入る。
私がぽかんと見上げていることに気が付いたのか、声の大きい常連客であり口うるさい担任である渡邊オサムは、くわえ煙草をゆらゆらとさせながらいやらしく笑った。

「昨日ちょっと儲けてな、かわいい教え子におごったろ思て。1組の千歳」
「あ、うん、見たことはあるけど・・・今の時間って部活中じゃないの?」
「れっきとした指導や、指導。セイカツシドウ」
「生活指導?オサムちゃんが部長さんに指導してもらった方が良いんじゃないの」
「うっさいわ」

うちのクラスの、かわいないやろ、と千歳くん側に私を紹介したオサムちゃんは、きょろきょろあたりを興味深げに見回している大柄の少年を釣れていつものカウンター席に座った。「天津飯二つ」何て勝手に注文したりして。メニューに無いせいで価格はいつもオサムちゃん側の言い値だ。何かがおかしい。

「千歳くんはそれでいいの?放っておくと天津飯しか食べないよオサムちゃんは」
「ん?よかよ」

やたら声の大きなおじさんに引き連れられた千歳くんは、やたら背が高いくせ思いのほかゆったりと笑う。なぜだか心臓が跳ねた。視線をあちこちにやりながら、

「そ、そう」

とやっとの思いで返し、さっさと厨房へと引っ込む。
オサムちゃんしか食べない天津飯は、いつも私の担当になっていた。店の奥では父が他の客と談笑している。そんなことだからろくに客がやってこないのだ。






せっせと天津飯のようなものを作っていると、後ろからやたら大きなお説教が聞こえてきた。どうやら本当に指導のため訪れたらしい。
聞き耳をたてるつもりはないが、オサムちゃんの声は本当にやたら大きいのだ。やれ部活にはきちんと出ろだの、白石が困ってるだの、人のことを言える立場なのかと思える説教ばかりではあったが、オサムちゃんも一応歴とした顧問らしい。

「それから、面倒はわかるけどな、ちゃんと食べや」
「オサムちゃん、俺馬刺しば食いたかね」
「勝手に食っとれ」

という声も聞こえてくるので、思わず天津飯もいつもより大盛りになってしまう。どうせバレないだろうと涼しい顔をして持って行けば、「今日はえらいサービスやな」と開口一番茶化されてしまった。

「いつも通りですけど」
「ほーう」
「なに、やめてその顔!きもちわるい!」
「気持ち悪いてなんや、こんなハンサム捕まえて」
「髭剃ってから言ってよそういうことは」
「いただきます」
「あ、うん、はい。どうぞ・・・」

ワントーン上がる声に、オサムちゃんの下品な笑い声が重なる。うるさいうるさい、別にいいじゃないか、かっこいいなと思ってしまったことくらいは。












以前は来訪すれば嫌そうに向けられていた幼い顔が、ここ数週間、俺の声を聞いた途端明るく振り返るようになった。そうして俺が一人であると確認するや否やいつも通りの不機嫌そうな顔に戻り、「なんだオサムちゃんか」と言うのだ。客が俺だと知っていて、なおかつ期待しているくせにだ。

の担任に就いたのはつい最近だが、店自体には学生の頃から通っている。彼女がおねしょをしてしまったとこっそり打ち明けてくれたこともあれば、両親と喧嘩をしたのだと一緒に天津飯をかっ込んでいたこともあったが、が恋をしている様子は、初めて見た。

厨房に入り勝手にビールを拝借すると、ぶすっとしながら天津飯を作っていたが血相抱えて飛んでくる。

「ちょっと!勝手に入らないで!」
「お前がまだこーんなだった時は俺が店番やっとったんやぞ、俺の方が詳しいわ」
「今はお客さんでしょ、人の家!人の店!」
「おーおー、昔はかわいかったのになあ。俺の袖掴んでおにいちゃんおねしょしたって」
「わー!何年前の話してるの!?」

からかうとすぐ真っ赤になってきゃんきゃんするところが面白い。正直彼女が思春期に入りなおかつ自分の担当するクラスに決まった際には時の流れに愕然としたものだが、背ばかりでかくなって中身は何も変わっていないのだ。いや、やたらと生意気になったか。声もでかい。

「部活終わったら来る〜て、話してたような気ぃするなあ」
「え!」
「あいつの『行く』『来る』は九割『行かん』ちゅーことや」
「・・・・・・あ、そう」

若いなあ、と思う。自分はもう、一目惚れなど出来る年ではないから。学生時代の彼女のことを思い出して、少し複雑な気分になった。彼女に振られたのは、が原因だった。俺が幼い彼女にばかり感けているせいで、あまり一緒に居られなかったのだ。今考えると本当にくだらない。ばかばかしい。だからこそ、若かった。

誰かと付き合うにしても、いろいろと面倒なことが付きまとう年になった。一目惚れをしたからすぐ好きになって、来るかどうかも分からない相手の来訪を待ち、いつもほったらかしてた髪を綺麗に纏めたりして。そんなこと、俺には出来そうもない。

「お前と居ると、若くなったり歳とったり忙しいなあ」
「何の話?」
「同級生と話しとる感覚になったり、娘構ってる感覚になったり」
「オサムちゃんが同級生なのも、オサムちゃんがお父さんなのも嫌だ」

ついでに言うとオサムちゃんが先生なのも嫌。そう吐き捨てるように言い、ビールを冷蔵庫に戻してから再び奥に引っ込んでしまった。なんだ、つまらない。そんなに嫌われるようなことしたか?

この思考や態度の取られ方がまさに思春期の娘を持つ父親そのもののような気がして、こっそり溜息をついた。昔から達観する方だとはいえ、これでもまだ、職場では随分と若い方なのだ。

まだそんなにオジサンじゃないよな?自問する。
ああ、まだ現役だ。自答する。

虚しいな、と一人ごちて、カウンターに大人しく座った。いつも以上に機嫌を損ねた彼女が作る天津飯は、きっと味付けが濃いに違いない。
千歳はこんなこと知らないんだろうな。思って、少しだけ愉快な気持ちになった。



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