初恋はたぶん、五歳のとき。

ませてるなって自分でもおもうけど、そのころの友達はみんな好きな男の子の話をしていたし、それは何年経ってもかわらなくて、きっと、男の子と女の子を分ける決定的な違いは、そこからだったんだと思う。男の子が戦隊モノや野球やサッカーや塾や期末試験や部活動の話をしている間、私たちはずーっと、飽きずに好きな男の子の話ばかりするんだもの。

五歳の時に好きになったのは、四歳年上のお兄さん。ほら、ませてる。髪の毛がサラサラしていて、笑顔が優しくて、オシャレで、頭を撫でてくれる大きな手がとても好きだった。サッカーのクラブに入っていて、一生懸命ボールを追っかけていた。隣りの隣りの家だったお兄さんは俗に言う幼馴染で、けれど彼が中学にあがると同時に、あんまり遊んでくれなくなった。
私の初恋終わり。四つ違いだから、小学校三年生のとき。





小学校三年の春に終わったこのドキドキした気持ちは、小学校三年の夏前には新しいものに切り替わっていた。バカみたいだなって自分でもおもうけど、きっとみんなそうなのだ。この頃の女の子なんて、みんなバカだ。だって、友達と好きな男の子の話をしている時間が、とっても楽しかったんだもの。
小学校三年の初夏、誰よりもはやく半袖になった、同じクラスの男の子。いつも綺麗に洗濯された洋服を着て、ちょっと引っ込み思案で、普段はあんまり喋らない。けど時々いうギャグがおもしろくて、私がバカみたいに笑っていると、嬉しそうにギャグを続けてくれた。新喜劇がだいすきなのだ、と彼は言っていた。あと、テニスも好きだった。ボールを追いかける人は、私も好きだった。単純だから、初恋の人と似ているところがあれば、それだけで好きになってしまうのだ。
その彼が中学にあがった途端ああいう路線に走るだなんて誰が想像しただろうか。私の恋終わり。彼が金色くんに出会ったころだから、中学一年のとき。






けれどまあ、それは良い。三年間続いた片思いも、中学に上がった途端どうでも良くなった。私がそれまで生きてきた十二年間のなかで、いちばん綺麗な人をみつけたからだ。
もう、とにかく、夢中だった。友達も夢中で、クラスの子も夢中で、かわいらしい二年生も綺麗な三年生も、みんな彼に夢中だった。彼と同じ委員会は恐ろしい競争率だったけれど、私は死ぬ気でじゃんけんに挑み、そして勝ち取った。消毒液の使い方を教えてもらうとき、ちょっとだけ指が当たって、その日は一日中上の空だった。人をこんな気持ちにさせる彼は、きっと人間ではないのだ、と思った。今でも少し思っている。きっと彼は、神さまだったのだ。


神さまに恋をしている期間、おもしろい発見があった。

その頃まわりでは、神さまの写真を集めることが流行っていた。学校行事のときに学校専属のカメラマンがやって来ていろいろと撮ってくれるのだけれど、そうして撮った写真を、廊下にずらっと並べて、生徒たちは写真一枚一枚に書かれた番号を紙に書いて、先生に提出するのだ。
一人だけで書くのは恥ずかしいから、友達と協力して、神さまの写真をいっぱい集めた。わざわざ違う学年の教室前まで行くのも恥ずかしかったけれど、周りには仲間がたくさんいたから、安心できた。私が神さまだったら、ちょっと怖いな、と思いながら。

そうして集めた写真のどれもに、映っている人がいた。
初めに気が付いたのは友達で、それを私に教えてくれた。神さまがかっこよく映っている後ろや隣で、必ずピンボケして映り込んでいる人がいたのだ。アイスみたいな派手な髪型をしていたからよくわかる、と友達は言ったけど、私はわからなかった。こんな先輩がいることすら、初めて知った。派手な髪型をしているのに。
ジャイアントコーンの君は(私は友達との間で、そう呼ぶことにした)どの写真の中でも、おもしろいことをやろうとしていたけれど、どれも途中でシャッターを切られてしまったようだった。しかもピンボケしている。やっぱりこの世のすべては神さまを中心にまわっているのだ。その隣りでしっかりと一氏くんが、金色くんと息のあったポーズを決めていた。私はそのときだけ笑顔を消したが、ジャイアントコーンの君をみていると、やっぱりおもしろくなった。





「アホちゃう」

私たちが神さまとジャイアントコーンの君で盛り上がっているとき、いつも白けきった目を向けるクラスメイトがいた。財前くんだ。彼は神さまと同じ(ついでに言うと一氏くんとも同じ)テニス部だったので、私たちはことあるごとに、彼に神さまの様態をきいていたのだ。うんざりされても仕方がない。

「でもね、おもしろいんだよ、この先輩」
「何が」
「うしろの方で、一生懸命ボケようとしてて」
「バカにしとんの」
「えっ、ううん、そういうことじゃなくて!」

そういうことじゃなくて、一生懸命なところが良いなと思っただけだ。けれどそれを上手に伝えられなくて言葉を探していると、財前くんはジッとこちらを見てから、軽く嘆息し、言った。「部活来たら」と。

言われた意味が分からなかったが、その日は言われた通りテニス部の見学に行った。あの場所はわざわざ扉をくぐって中の隔離された場所に行かなければ見られないから、今までなかなか敷居が高くて行けなかったのだ。けれど、誘ってもらえたのだから。
中に入ると案の定、いつもどこかしらにいるはずの『仲間』は一人もいなかった。私は隅の方を陣取って、体育座りしておとなしく部活の様子を眺めた。

驚いたことは、部活をしている財前くんが思いのほかかっこよかったのと、一氏くんと金色くんがちゃんとテニスの試合になっていたのと、神さまがやっぱりかっこよすぎたのと、それから、とんがりコーンの君がいたことだった。

分かりやすくみんなを纏めている神さまの向こう側で、人知れず裏方の作業に徹している。二年生なのにボールを片づけて、不平不満を持つ三年生をそれとなく宥めている。一年生に優しい言葉をかけ、頭を撫でていた。

どうして私はよく知りもしない人を、失礼なあだ名で呼んでいたのだろう。
「ごめんなさい」小さな声であやまって、コートの隅っこで、少しだけ泣いた。






気が付くと、小石川先輩ばかり目で追うようになった。特に何があったわけではない。けれど、彼はとても一生懸命な人だったから。一氏くんのような分かりやすい派手さや、白石先輩のような内面の派手さはなくても、じっと彼の生活を全うしている。彼の世界はとても楽しそうで、暖かそう
だった。

それに、目で追っていると、よく彼も私の方を見てくれた。白石先輩のときは、一度もなかった。

目が合うと心臓が跳ねて、深呼吸したっておさまらなくて、白石先輩への恋が終わって秋になって冬になってまた春になったけど、それは変わらなくて。「あ、小石川先輩だ」そう思って彼をみると、すぐに彼もこっちを見てくれて。


いくつか恋をしたけれど、今まで何にもできなくて。今まで何にも変わらなくて。恋なんて実ったことがなくて。自信なんて、これっぽっちもなくて。誠実で一生懸命な小石川先輩が私みたいにバカな後輩を、好きになるわけなんてないのに。
でも、今まで何もできなかったから、今度こそは。雲をつかむような、神さまに恋をするような、非現実的なものじゃなくて。今度こそは、何か行動出来たらいいのになと。どうして惹かれたのかなんてわからないけど、わからないからこそ、小石川先輩のことを考えると心臓がぎゅうとなった。友達にも言えなかった。今までの片思いでは、一度もならなかった感情だった。

彼と、目があったら、話しかけたい。たのしくおしゃべりしたい。たのしくおしゃべりできたら、引き留めたい。今まで友達はどうしていたっけな。一緒に帰りませんかって、言ってたんだっけ?でも、小石川先輩には部活があるし。部活をしている小石川先輩が、好きなのだし。


なんとなく引き継がれた保健委員の仕事のひとつ、先生のかわりに保健室の留守を守ること。先生と白石先輩に教えてもらったおかげで、軽いけがなら消毒できる。特にボールを追いかけている人に手当をするのは、好き。初恋の引き継ぎ。現在の恋のよこしまなこころ。

消毒液のにおい、真っ白なカーテン、心地よい風。
コンコン、と律儀なノックが二回。控えめに開かれる扉、そこから覗く、大好きな人。

「あ、小石川先輩」




(神さまに恋をする / 小石川健次郎)


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