初恋はたぶん、小学校一年の春。

今でもよう覚えてる。小学校上がって、何週間も経たへんとき。大人しい性格でもなかったけど、自分から誰彼かまわず話掛けられるようなタイプとは程遠かったし、照れとか緊張とかもあってなかなかようしゃべりかけられへんかった。周りは知らん子らばっかやったし、近所に住んどる子とはクラス違かったし。けどまあ、そのうちだんだんみんなと仲良うなれるやろ、って、子供ながら楽天的に考えてたと思う。実際その通りやったし、まあ、それなりに友達だってすぐにできた。

せやけどそれは、男だけの話で。女子とはなかなかしゃべられへん。今でもやけど、なんや用もないのに話しかけるとかできへんし、今で言うとこの白石みたいな、女子の方からめちゃくちゃしゃべりかけられるような見てくれとちゃうし。それで別になんの不都合もないねんけど、まあ、どっちかいうたら女子とも仲良うできたらええなって、ちょっと思うことも、あったりして。

女子とは、まともにしゃべられへん。小学校上がる前はそんなことなかってんけど、なんや小学校上がったら途端にそういうの恥ずかしなってもうて。カッコ悪いとか、そこまでやないねんけど、まあ、要するに自分から女子に話かけるんは苦手やった。話しかけられてもよう話せへん。

けど、隣の席の小早川さん。
苗字似とるなって、最初名前見たときから気になってた。けどそんなんどうでもええわってくらい、可愛い子やった。目ぇくりくりしてて、髪さらさらで、ほんで声も可愛くて。一目惚れやったと思う。小学生一年なんてまだ鼻水垂らしてわらっとるようなガキやったし、いっちゃん目に入るんは所詮顔やし。可愛いなって、隣におるだけでドキドキして。話せたらええなって思ってもやっぱ話掛けられへんし、友達にからかわれんのとかもっと恥ずかったし。だからあんときはほんまにラッキーやった。一回だけ算数の教科書忘れたことあって。そんとき先生にむっちゃ叱られたのに、それ差し引いたってなんぼでもお釣りが来た。算数の教科書挟んで、寄り添うみたいにすぐ横に小早川さんいてて。なんや、ようわからへんくらい、ガキなりに幸せってこういうことなんやろうなって、感じてたと思う。



それが、初めての恋。
っていうても、当時はそんなん自覚してへんかったし、初恋っていつやったんやろって、こうして考えてみて初めてああ、たぶんあの時やな、って思うだけで。
その後の席替えではことごとく小早川さんと遠い席になるし、学年上がってから一回も同じクラスにはなれへんかったし、せやから彼女とはもう、それっきり。中学も私立の女子中行ったって聞いたし、たぶん、もう会うこともないと思う。
けど、たぶんやけど、初恋なんてこんなもんなんやろな。俺が言うのもなんやおもろい話やねんけど。なんかしようとか思ったことないし、そこまで頭も回らへんかったし。せやけど、あのときもっと話せてたら良かったなって、それくらいは、実は今でも思ったりする。

だって、いっこも成長してへんもん。小学校一年のときのままや。この子好きやなって、思っても何も行動に移されへん。ただじっと見てるだけ。それだけで幸せ感じてるっちゅう自覚も、実はあるんやけど。








「小石川先輩って案外おっちょこちょいなところあるんですね」

口もとに小さな手を添えて、さんがクスクスと笑う。消毒のにおいが漂う白い部屋やのに、さんが笑うだけで花畑が広がったような気がした。

「・・・や、これは、その」

ちゃうねん。これはうちのスーパールーキーが周りよう見んとぶっ放したボールがたまたま小石の上直撃してほんで変な風に跳ねて俺の方飛んできただけやし、俺がおっちょこちょいとかぼーっとしてたわけちゃうし、むしろどっちか言うたら一応避けられたってことの方を評価してほしいんやけど、まあ、そないなことを彼女に言えるはずもなく。
上手く答えられへんとどもってたら今度はにこりとだけ笑うと、後ろの棚から消毒液のしみ込んだ丸い綿をひとつピンセットでつまんで、ためらうことなく俺の膝小僧の上に置いた。
大した傷やあらへんけど、いきなりそないなことされたら誰だって声くらい出るやろ。歯食いしばって、強張ったままの肩で固まってたら上からまた小さな笑い声が降ってくる。

「そんなに沁みますか?」
「・・・お、おう」
「すいません。でも我慢ですよ、がまん」

回転する丸椅子に腰かけた俺を見下ろすさんは、まるで幼稚園児をあやすような口ぶりでそんなことを言う。むっちゃ楽しそうな声やから、ああ、この子こんな優しそうな顔しとるくせ案外いたずらっ子みたいなとこあんねや、って、意外なとこ知れてちょっと嬉しなった。だって、意地悪するくせ傷の手当ては丁寧やしいかにも手慣れてるっちゅう感じで、変に照れてまう。ピンセットを持つ彼女の指先にばかり目がいった。

きれいな手や。小さくて、白くて、触ったらすべすべなんやろうなって、むっちゃ思う。ちょうどさんの頭がすぐそこにあって、なんや消毒液とちゃう匂いがして。ほんまに花でも咲いたんやろかって一瞬思ったけどこれってたぶんさんの髪やと思い直して少し恥ずかしなった。何考えてるんや俺は。お花畑なんは保健室やなしに俺の頭の方や。




この時間がずっと続いたらええのに。
我ながら全く似合うてへんこと考えてて、ほんま滑稽や。いつのまにこんなんなってんやろ。好きになるだけ無駄やのに、それでもただ見ているだけで嬉しいし、幸せな気持ちになれるんやから安上がりな男や。それでええねん。今でも十分幸せやから。

「じゃあ、後は乾かしてくださいね」

そういってさんが血の染みた綿を捨てピンセットを片付ける。これが終わりの合図だった。
どうぞ、手当ては終わったので部活に戻ってください。
口角の少し上がった彼女の唇が、そんなことを言っているように見えてなんや一瞬心臓の奥の方がきゅうっとなった。ようわからん、この感覚。ときどきさん見かけたときにもいっつもなる。最初は全く気にしてへんかった。ただの気のせいやって思ってた。せやけど、これって、やっぱり。

面識なんて、あってないようなもので。
なんでこないな会話できるんやろって、未だにようわからへん。クラスどころかまず学年がちゃうし、委員会も部活も、掃除場所かてちゃう。接点って言えるもんがあるとすれば、彼女とうちの部長が同じ委員会ってことくらい。それしかない。保健室の世話になることって数えるほどしかないし、今日かてさんが当番やって、行って初めて知ったし。

けど、保健室の扉開けた瞬間、さんと目が合って。
「あ、小石川先輩」って、声は聞こえへんかったけど、そんな風に唇が動いたんがわかって。
俺も同じタイミングで「あ、さんや」って、頭ん中で思ってて。

そんときも心臓の奥がきゅうってなった。




もっといろんな話の引き出し持ってたら、もうちょっとここにおれたのに。
台本もネタ合わせもなしにおもろいことなんてぱっと出てくるわけないし、適当に話続けるにしても女の子楽しませられるようなモンなんも持ってないし、そもそもそんな器用な男とちゃうし。こんなとき自分が例えばユウジみたいにおもろかったら、とか、白石みたいに男前やったら、とか、そんなんばっかり考えてしまう。

ああ、もっとこうやったら。浮かんでくんのは、テニス部の連中ばっか。何にも勝たれへん、あいつらには。劣等感だとか、そんな汚いもん感じてるつもりはないねんけど、悔しいかどうか訊かれたらそれはもちろん、悔しい。なんで俺が副部長やってんねやろって、こういうことがあるたびに思う。自分のいいとこって何やろって、贔屓目に見て考えてみたって、哀しいかな、ろくな答が浮かばへん。

ありがとなって、短く礼だけ言うて、保健室出て、扉閉めて。そこでようやく呼吸ができたような気がした。
何回も深呼吸して、何してんねん俺って、自分でも思った。それでもまだ心臓はドキドキしてて。

これって、もしかして。

って、あんま考えんようにしてんのに、なんでやねん。どうしても考えてしまう。考えたないって、考えたらアカンって、ほんまに、ほんまにほんまに好きになってしまうって、わかってるから。

見てるだけで嬉しい今がきっといちばん幸せなんや。
それ以上を望んだって、絶対ええことなんてない。なんとなくやけど、そんな気ぃする。
おもんない。かっこよくもない。大した取り得もない。魅力もない。頭が切れるわけでもないし、かといってテニス部でもレギュラーにはなられへん。見てくれだけちょっと派手なだけで、一枚皮剥いだらほんまはただの地味やねん。

そんな俺のことなんて、さんやなくたって絶対惹かれへんの、自分がいちばんようわかってるから。ああいうかわいい子には、例えばユウジみたいなおもろいやつとか、白石みたいな男前なやつとか、黙っててもかっこええ財前くんとか、そういうやつがお似合いやと俺は思う。
なんで俺はそない男になられへんかったんや。保健室に向けた背中が、少しだけ震えた。



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