昨日買ったばかりのCDをウォークマンに入れ、お気に入りのコーヒーショップへ。お気に入り、というのは、コーヒーの味や店内の雰囲気ではない。そこへ行けばお気に入りの人に会えるコーヒーショップ、という意味だ。

とは言え、自宅からコーヒーショップまでの道のりも悪いものではない。特にコーヒーショップが入っている商店街近くになると、駅までずっと桜並木が続くので、この時期は心地よかった。

もうすっかり葉ばかりになってしまったが、花筵もなかなか良いものだ。あまり四季や外の気候に興味を示さなかった私がこうして風流に浸っているのを見ると、恋というものは虹彩に張られる一枚の透明な膜で、それを通して見れば何もかもが美しく鮮明に映る不思議な現象に思える。
・・・なんて、詩人のようなことを言ってみたりして。慣れない読書をすると世界観に引き摺られがちだ。











最初は、時間つぶしのためだった。
記憶が定かであればその日は今年一番の寒さで、数分も外にいることが出来なかったのだ。十時に駅前待ち合わせをしていた友人から『一時間遅れる』とメールが入ったのが十時十分。すでに凍えそうになっていた私は、急いで目に留まったコーヒーショップへ駆け込んだ。生まれて初めての喫茶店だった。

右も左も分からぬちんちくりんを微笑ましく思ったのだろうか、ウェイターのお兄さんは、窓際一番奥の席へ通してくれた。
四人掛けテーブルだったが独り占めしても良いものだろうか。先客が数名いる中の、その場所が特等席らしかった。すぐ上にはエアコンが設置されており、暖かな風が頭のてっぺんを揺らす。

メニューを見る。カタカナばかりで訳が分からない。仕方がなく、スタンダードなコーヒーを頼んだ。父の朝食のお供に付き合って飲んだり、親戚の結婚式で出されて仕方がなく飲んだり、私にとってコーヒーというものはそういった、必要に駆られなければ決して口にしない苦い飲み物であったが、おそらく『今』がまた、『必要に駆られているとき』なのだろうと察したからだ。



想像以上の苦さに顔をしかめると同時、軽やかな鐘の音と共に扉が開いた。
その時に入店したのが、彼だ。



ウェイターのお兄さんは彼を見るなり少し笑って、特に席案内もせず奥に籠る。よほどの常連なのだろう。彼は迷わず窓際の席に腰かけた。彼もまた四人掛けテーブルを独り占めしている。
背中合わせのソファーを挟んで、ちょうど前に座った。わざわざこちら向きに座らなくても良いものを、きっとその場所が彼の定位置であることは容易に想像できた。私の方がイレギュラーなのだ。

背格好から私と同じく学生であると分かったのに、彼は私のようにちんちくりんではなかった。
注文をした様子もないのにウェイターがコーヒーを運んできたことが良い例だ。彼はウェイターと二、三会話をしてから、両耳にイヤホンを入れ、ウォークマンを弄ってから、じっと窓の外を眺めた。



真正面からこれほどまでに観察されていることに気が付かないのだろうか、彼は微動だにせず、外ばかり注視している。時折カップを口元に持って行くその様子が随分と手馴れており、私は彼がカップを傾けるたび、息をのんでいた。


正直、そこまで、かっこいいというわけでもない。ワックスで立てられた髪に、たくさんのピアス。清潔そうな服。オシャレな雰囲気だけれど、クラスの山田くんの方がよっぽどかっこいいと思う。
それでも、だ。理由なんてないけれど。それでも。

気が付けばこうして、彼の様子を伺うために、このコーヒーショップへと足蹴く通っている。











今ではお気に入りのコーヒーも出来た。いくつも飲み比べを試し、一番甘いと感じたものだ。上に泡が乗っており、ときおりお兄さんがハートマークやうさぎの模様を描いてくれる。ちんちくりんの学生が常連になることを楽しく思っているようだった。

最初に座った特等席はすっかり私の定位置になり、同じく定位置に腰かける彼のことを、読書をするふりをしながら、または読書の方がメインになりながら、チラチラと伺うことが、ここ最近の楽しみだった。それって、一歩間違えたらストーカーになりそう、などと、友人は苦い顔をしたけれど。女子学生は全員が恋バナを好んでいるわけではないらしい。



ストーカーと言えば、そうだ、彼の好みのコーヒーも覚えた。

飲み比べをした際、彼のとよく似たコーヒーが出てきたことがあったのだ。容貌から察するにまるきり苦いブラックコーヒーなのかと思いきや、私が好んで飲んでいるものと似た味がしたので、強く印象に残った。
彼はその中に角砂糖をひとつ入れ、くるくると回す。3回に1度は何も入れずに飲むけれど、手持無沙汰なのだろうか、窓の外を見ながら角砂糖を摘み、指の先で弄る様子は、同じ程度の子どもらしく好感が持てた。


一度だけ真似して私も角砂糖を弄ったことがあったけれど、パキンと音を立てて砕けてしまった。
机に散らばったそれらをせっせと集めていると、どこか視線を感じたので顔を上げれば、彼がこちらを見ていた。たぶん、目が合ったのは、その時が初めてだ。
特に会釈をするでもなく、彼は私を少し見た後、ふいと視線を外し、再び窓の外を見る。そんなに外には何があるのかと私も視線をやったが、商店街を歩く人々しか、視界には映らなかった。それなら彼を眺めていた方がよほど面白い。
もう一度彼の方に視線をやれば、彼もまた、こちらを見ていた。











なるべくちんちくりんだと思われたくないためいつもは自宅で一度着替えてから向かうのだが、今日は何となく、制服で行ってみようという気になった。
もしかしたら彼も制服でやって来て、それが同じ学校の制服で、そこから初めての会話が生まれたりするかもしれないじゃない。

どうも昨日あの店で読んだ本が恋愛小説だったのがいけなかったらしい。すっかりうかれきった頭でふらふら訪れれば、珍しく彼の方が先に来ていた。しかも、そう、制服で、だ。

「出来過ぎてる」

思わず呟けば、いつもなら両耳をウォークマンに占拠させている彼が、私の声に反応したかのように振り返った。その耳にはいつものコードがない。虹彩に一枚張られた膜のせいで、彼が誰よりもかっこよく鮮明に見えてしまう。振り返ったお陰で、学ランの首元にある校章が確認できる。

彼はじっと私の姿を瞳にうつし、それからゆっくり目を細めた。

「出来過ぎやな」

と、彼もそう言った気がした。いらっしゃいませ、というお兄さんの声で、それは聞こえなかった。
はやくあのコーヒーが飲みたい。この甘ったるい気持ちを、どうにか浄化してもらわなければ。


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